スキル胃癌ステージⅣの男、富士登山を目指す

抗癌剤治療中ですが、5年後富士登山が出来る様に頑張ります。

【2018/2/28】スキルス胃癌と宣告されて

 

 スキル胃癌を宣告された時は、ハッキリ言って現実感がなく、自分の事と思えませんでした。それよりも、カミさんが、これ以上ないという位に落ち込んでいました。顔の表情も歪み、顔をうつむけ、顔色も変わっていました。それを見て、「家族、大丈夫かなぁ」という感情が浮かびました。

 

 少し、話は変わりますが、1985年8月の日航御巣鷹山墜落事故で亡くなられた方の機内で書いた遺書を読んだことが有ります。そこには、家族への感謝と家族との別れに対する哀惜、残される子供へのこれからの人生のあり方が、記されていました。この話は、あるセミナーで聞いたのですが、「親が究極的な状態で子供に託する言葉」という内容でした。親が、究極的な状態にある時、「良い大学に入らないとダメ!良い所に就職しないとダメ!~出来ないとダメ」など健康な時には、つい言ってしまいそうな事は一つも無かったそうです。「健康で充実した人生を」「残された家族を大切に」「社会の役に立つ人になって下さい」など、残された人への感謝と、残された人の充実感への希望が記されていたのです。

 私も家族の事が一番心配です。

 

 主治医先生の話が終わり、カミさんと二人きりなると、カミさんが「大丈夫!」と。

『チームふたり』という本を例えに、「夫婦は、チーム、一緒に完治させよう。大丈夫!」と。もっと、長い言葉だったと思いますが、その言葉に泣いてしまいました。

カミさんは、病気を宣告されたことで落ち込んで、私が泣いたと思いますが、そうではなく、もちろんショックで泣いた面もあるかもしれませんが、大部分はカミさんの言葉が嬉しくて泣いた気がします。

 

 さて、少し、落ち着いた所で「子供たちにどう話そうか?」という事を相談しました。結局、その日の夜7時に、カウンセリング担当的な看護師さん同席のもとで正直に全部、話すことにしました。下の娘が、敏感で2/20以降、少し不安定になっていて、正直に話した方が、しっかりと理解してくれるだろうとの判断でした。結果は、上々で、上の息子もしっかり受け止めめてくれて、笑顔の「発表会」となりました。看護師さんもしっかりフォローして下さり、話してとても良かったと思いました。

 家族のためにも、自分のためにも、しっかりと向き合おうと決意した日でした。