スキル胃癌ステージⅣの男、富士登山を目指す

抗癌剤治療中ですが、5年後富士登山が出来る様に頑張ります。

『京大病院に入院、シスプラチン投与』

 

【2018/3/26(月)~3/27(火)】

 

 3/26に京大病院に入院しました。シスプラチンの点滴治療をするためです。4人部屋の窓側でホッとしました。病室が6階なので空が広いです。

 ちなみに、バプテスト病院は、窓側と廊下側では1000円の入院料の違いが有りました。窓側は、テレビも見放題で廊下側より1000円高く、廊下側は、テレビは有料のカード制で1000円安い、という料金システムでした。京大病院は、その様な料金システムはなく、相部屋は、同料金でした。廊下側は、日の光も入らず、カーテンで仕切ることが多い病室では、電灯を消すとかなり暗くなってしまい、トイレもすぐそばにあり、トイレの音もかなり聞こえ、気分が、かなり落ち込みます。料金で差をつけて欲しいと思いました。

 シスプラチンを投与する時に、看護師さんが、顔をガードするマスクをして、紙製の薄い防護エプロンを付け始めたのには驚きました。肌や服に付くと危険なんだそうです。やはり、抗癌剤は“毒”なのですね。「こんな“毒”を体内に入れないといけないのか?」と思いつつ、「頼むから効いておくれ」と願いながら点滴が落ちていくのを見つめていました。抗癌剤の必要ない要素は早く抜けさせるために生理食塩水も同時に点滴し、「水分も出来るだけ取ってください」と指導が有りました。おかげで凄い頻尿となりました。

 

 3/27になっても特にひどい副作用は出ませんでした。

 この日に初めて、DHCテレビの『虎ノ門ニュース』を視聴しました。約2時間のニュース解説番組で、地上波では報道しないようなことをタップリと話していました。この番組の面白いこと面白いこと!この日の解説者は、百田尚樹でした。私の『5年日記』によると、「根本博のことを紹介してくれている」と記されています。

 根本博は、旧帝国陸軍の軍人であり、駐蒙軍司令官として1945/8/15以降のソ連軍、中国共産党軍の攻撃から日本人を守りぬき、さらに、戦後、台湾を中国共産党から守り抜いた人物です。恥ずかしながら、全く知りませんでした。大東亜戦争中、どうしようもない指導者がいたことは確かですが、この様な人物もいたという事はもっと知られても良いのでは?思いました。