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『同窓会』
【2018/12/1(土)】
本日の午前中に次兄がお見舞いに来てくれました。とても心配してくれて本当に有難いと思いました。実は、実父母に自分の病状を一切話していません。発病当初、父は85歳、母は84歳でした。最初から伝えるかどうか迷い、長兄、次兄に相談しました。
父母は、まだ、元気なのですが、二人とも極度の心配性で、兄に言わせると、「病気の事を言うと、心臓麻痺を起こすんじゃないかな?京都に住み着いて世話をすると言い始めるのでは?」と。自分の父母を知る私としましては、あながち、冗談とも思えません。
ちなみに、私は鹿児島出身で、父母も鹿児島在住で、次兄は、鹿児島からお見舞いに来てくれました。
私の腸瘻生活が終わり、仕事に復帰で来たら話そうという事になっています。それまで、隠し通せるかな?
午後には、大学を卒業して以来の大々的な同窓会が、京都駅近辺の居酒屋でありました。大々的と言いましても、私の出身大学は、こじんまりとした学校で、学科で36名という高校のクラスの様な雰囲気でした。その36名の中から21名が参加してくれました。
幹事から出欠の連絡が有った時、自分の症状を話し、皆に伝えて下さい、と言ってたので皆、会うなりとても心配してくれました。
1人ずつ近況報告をする時間が有り、「2/20:緊急入院、2/28:癌告知、5週間×3クールの抗癌剤治療、奇跡的に抗癌剤が効いて7/20:胃の全摘手術、ホッとしたのも束の間、再発防止のため2週間×12クールの抗癌剤治療を現在も続けている」という話を、しんみりとならない様に笑いも含めてお話ししました。
皆さん頑張っておられ、とても良い話を聞きました。その中から県の文化財保存課に勤めている方の話を一つ。「50年経つとあらゆるものが文化財なのです。さて、我々も50年生きましたから文化財なのです。そして、これからの生き様が重要文化財になるか、国宝になるかの分かれ道になります。皆さん、元気に過ごしましょうね」という私には励ましのエールに聞こえ話が嬉しかったです。
雰囲気というのは大切ですね。7/20以降、最大に食べることも出来ました。とても幸せな一日でした。